『「いき」の構造』は「いき」か??

『「いき」の構造』(九鬼周造/岩波文庫)

2014092622140000.jpg

前から気になっていたのに、長いこと読んでいなかった、そんな中の一冊。

九鬼周造って人が何者かも知らなかったけど、哲学者だったんですね。

日本語の中でも特に日本らしくて日本人にしか腑に落ちないような言葉「いき」を、西洋哲学の論法で説明したところが、どうもすごいらしい。

読んでるとほとんど「頭の体操」のようで、よくもまぁこんなにコネコネと理屈をこねくり回せるものだわい、いったい何がしたいんこの人?って言いたくもなる。

と同時に、なるほどねぇ、などと感心したりもする。

著者によれば、「いき」には重要な要素として、「媚態」「意気地」「諦め」の三つが欠かせないらしい。

「媚態」は異性に対するものであり、「意気地」は江戸文化の道徳的理想、「諦め」は執着を離脱した無関心だという。

<「いき」という存在様態において、「媚態」は、武士道の理想主義に基づく「意気地」と、仏教の非現実性を背景とする「諦め」とによって、存在完成にまで限定されるのである。>(30頁)

なんのこっちゃ??って感じだけど、結論として、「いき」をこう定義する。

<「垢抜けして(諦)、張のある(意気地)、色っぽさ(媚態)」>(32頁)

面白いのは、上のようにかなり独断的に定義したあとで、こういうのが「いき」で、こういうのは「野暮」だ、と具体的に論じていくところ。

たとえば、<姿勢を軽く崩すこと>や、<うすものを身に纏うこと>や、<湯上り姿>などが「いき」だという。

ほかにも、<姿が細っそりして柳腰>とか、<細おもて>とか、<横縞よりも縦縞>などが「いき」らしい。ほとんどあんたの好みでしょ!って突っ込みたくもなるが、それなりの理屈がついてくる。

妻に説明していたら、

「それって美空ひばりのことだね!」

「ははん、ハンカチ落ちてましたよってさりげなく渡してあげるのは「いき」だけど、ついでに電話番号聞こうとするのは「野暮」ってことね!」

とか、ほんと女性ってどうしてこう直感的にわかりやすく解説できるんでしょうね。九鬼ちゃんも真っ青ですよ。

ところで、読みながら、次は岡倉天心の『茶の本』なんか読みたいなーと考えていたら、なんとこの二人はものすごく密接な関係にあるとのこと。

興味ある人は調べてみてください。びっくりしますよ。

ともあれ、ボクが一番思ったのは、「いき」をここまで哲学的に論じることは、はたして「いき」なのだろうか?ということでした(笑)

 

【今日の一句】

2014093009030000.jpg

ごそごそと 動いて保とう 運動器

面倒臭がらない。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中