岡本太郎のピカソ論。『青春ピカソ』

『青春ピカソ』(岡本太郎/新潮文庫)

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まだまだ続く岡本太郎マイブーム。本書は、昭和28年に刊行された岡本太郎による「ピカソ論」だ。

昭和20~30年代にかけて、岡本太郎が骨太の芸術論を立て続けに出していたことを、ボクは知らなかった。いずれも読みごたえ十分で、彼のいう「人生は芸術」の意味が、ボクにも徐々に伝わりつつある。

 

ピカソといえば、あの福笑いのような人物像の印象しかなく、本当は上手に描けるのに、あえてあんな絵を描いた人、という程度の認識しかなかった。

そして、(あんな変テコリンな絵も、わかる人にはわかるんだろうなぁ)と、あれが「わかる」人がまったく理解できない、という感覚だった。

が、本書を読んで、その考えはがぜん変わった。

ひとつ「わかった」こと。それは、ピカソも岡本太郎も、単なる「絵描き」ではなく、たまたま絵筆を取った哲学者であり思想家である、ということ。彼らは、自らの哲学を、絵筆という武器を使ってキャンバスに表現したのであって、いわゆる「画家」ではないのではなかろうか。

それは、本書の解説で宗左近氏が紹介したピカソの言葉に端的に表れている。

<「絵画はもはや客間の飾りではない。今やそれは、世界認識変革の武器なのだ」。>(159頁)

本書に展開される岡本太郎によるピカソ論が、岡本太郎だからこその視点なのか、他の評者も同様なのか、なにぶん他を読んだことがないのでわからない。ただ、傑出した芸術家として意気投合した二人(ピカソとの邂逅についての興味深い文章もある)だからこそ、わかり合えたものがあることは間違いない。

 

もうひとつ「わかった」ことは、ピカソや岡本太郎の仕事の凄さを理解するには(それはつまり芸術とは何かを理解することにもなるのだろうが)、彼ら自身の生き様や、美術史全体の流れ、その背後にある社会的な流れを理解する必要がある、ということ。彼らが発した究極の問いは、「人間とは何か?」という問いだと思う。

そんなことを感じていた折、ちょうど今週末から広島県立美術館で『ポーラ美術館コレクション、モネ、ルノワールからピカソまで』が開かれるという。なんというタイミング!いままでのボクだったら見向きもしなかったに違いないが、今回は是が非でも行ってみたい。私も見に行く!という方は、本書を読んでおくとさらにいいと思う。

 

太郎は、「ピカソへの挑戦」という文章で次のように書いている。

<ピカソの権威が新しい芸術家によって打倒されることは芸術史の要請である。全世界において、未だにそれがなし遂げられていないということ、そこにこそ現代芸術の不幸な停滞があり、最大の危機があるのだ。
重ねて言うように、これは一大至難事である。だが否が応でもこの自覚と、それへの決意なしに今日真の芸術家たることは出来ないのだ。>(23頁)

 

【今日の一句】

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腰痛の 予防に体側 伸ばしとこう

意外に盲点です。

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