学ぶということ

いつも楽しみに読んでいる中国新聞の「生きて」。
http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/ikite/index.html

今回は野球の広岡達朗氏。
今朝の回はまた面白かった。

巨人に入団した年、バッティングに悩んだ広岡氏は、打撃の神様・川上哲治さんに「教えてください」と教えを乞うが、一瞥されただけで終わりだったという。

なにか、「学ぶ」ということの厳しさを垣間見る思いがする。

現代は学ぶ機会に溢れている。本、セミナー、ネット等々、「学生」も多ければ、「先生」もいっぱいだ。

僕が尊敬するある治療家先生は嘆きながらこうおっしゃった。

「皆ちょっと教えてもらっただけで、すぐできる気になって、他人に教えたりしよる。ほんまに治せるんか?」

勉強はヒントをもらうだけであって、本当の力は、自ら壁にぶつかって試行錯誤しながらでしかつかないのだ、と思う。
地図やコンパスを勉強しただけで、山をわかった気になってはいけない。
結局、自分で歩き、汗し、雨に打たれ、厳しい思いをしなければ「力」はつかない。
「学ぶ」「教える」、いずれも昔は今よりずっと“重い”ことだったのかなと思わされた記事でした。

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